江戸時代(1603~1867)
医師以外による歯の治療
本道医(内科医)や金創医(外科医)が行っていた他、歯医、歯医者、牙医、口中医師、歯薬師などと呼ばれる医師達が、下級武士や一般庶民の歯の治療に当たっていた。
しかし、医師でない香具師(やし:歯抜師、入歯師)という人達による歯の治療も行われていた。
香具師による抜歯
「虫歯はとにかく抜く」が基本。しかも麻酔なしで……
香具師が街頭や見世物などで曲独楽や居合い抜きなどの芸を披露しながら歯磨き粉を売ったり、希望者がいれば、熟練の早業で人の歯を抜いたといわれている。
「商品としての歯磨き粉が登場したのもこの頃。精製した砂や塩が基本成分で、薄荷などが配合されていたものもあった。
明治時代(1868~1912)
近代歯科医療の幕開け
海外より外国人歯科医師が渡来し、日本に近代歯科医療が伝来。
日本初の西洋医学に基づく「歯科医師」の第1号となったのは小幡英之助。1875(明治8)年、彼は医師試験の中で歯科の受験を特別に申し出て合格した。
江戸時代から続く入歯師、歯技師などの口中科が正式な歯科医師免許を取得せずに診療していたため、歯科医師の業務を圧迫していた。歯科医師の身分が確立したのは明治の後半になってから。
今でもお馴染のメーカーによる歯磨き粉が誕生
1888(明治21)年 東京資生堂が練り歯磨きを販売。
1896(明治29)年 小林商店(現在のライオン)が「獅子印ライオン歯磨」を販売。
大正~昭和時代(1912~1988)
歯科医療の重要性が認識される
医師が歯科医療を行う事が禁止され、歯科医療が医科から独立。
しかし、非医師による歯科医療も続いていた。
戦争中の金属不足から…
戦前の虫歯治療で主軸だったのは「アマルガム」。金属の粉末と水銀を混ぜ合わせたもの。小さな虫歯であれば、削った後に歯に詰めていた。
アマルガムは最近まで使用されていたが、アトピー等の原因と考えられるため、現在では保険治療から廃止されている。
ドイツでは、金属が武器に使用されていたため、歯科治療用の金属が不足した。そこで「コンポジットレジン」が誕生。これは歯科用プラスチックとも呼ばれ、現代の虫歯治療で主に使われている。
まとめ「白い歯は昔も今も」
江戸の歯磨き粉ブーム
江戸に100軒もあったといわれるほど、歯磨き粉屋は人々にとっては重要な存在だった。白い歯は『だて男の証』ともいわれ、歌舞伎役者の名前をつけた歯磨き粉も大ヒット。
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ホワイトニングの歴史
アメリカでは1844年、ミョウバンを使って歯の着色を落として白くする方法が“ホワイトニング”として歯科雑誌に紹介された。1884年には、現在主流になっている過酸化水素を使用したホワイトニングが始まった。
日本では1927(昭和2)年に創業した椿歯科医院が1995(平成7)年、歯のホワイトニングの専門サロンの先駆けである「ティースアート」を銀座にオープンした。