綾瀬の歯医者|なるべく神経を抜かないむし歯治療|足立区の新井歯科医院

すべては患者さんのために 当医院はさまざまな取り組みで再治療や悪循環治療からあなたの大切な歯を守ります。arai-dc.net

新井歯科医院(足立区綾瀬)

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足立区綾瀬の歯医者「新井歯科医院」の歯の豆知識

近代的な設備のなかった時代、歯の治療はどのように行われて来たのでしょうか?

 

古代~飛鳥・奈良時代(~8世紀)

旧石器時代

歯を抜いたり削ったりする習慣があった。
宗教的、装飾的、他の部族への威嚇的理由のためだったといわれている。

縄文時代

前期では、虫歯より歯の磨耗が多かったが、後期で逆になる。
時代の経過と共に、柔らかいものを食べる様になったため。


弥生時代

虫歯が更に増え、お歯黒の習慣も始まる。
お歯黒をした埴輪が発掘されている。

飛鳥・奈良時代

『大宝律令』や『養老律令』の『医疾令』に定められた医学生の教育内容の中に、耳目口歯科と明記。
耳、目、口、歯は一つの科として医師が行うことになっていた。

 

平安~鎌倉時代(9~13世紀)

平安時代

朝廷においてのみ、歯科治療が行われていた。
984(永観2)年、朝廷医丹波康頼は、日本最古の医書とされている『医心方』を編纂。
その中に、虫歯や歯槽膿漏の治療の事も記載されている。
民間では、巫女が治療を目的として 抜歯を行った記録がある。

平安末期~鎌倉時代

平安末期には口腔清掃の手段として、うがいが行われるようになった。
鎌倉時代には歯の清掃用具として楊枝が登場。
1279(引安2)年『沙石集』の中に、日本初の営利目的の歯科開業医的な人物として「歯取唐人」が描かれている。

 

室町~安土桃山時代(14~16世紀)

室町時代

朝廷や幕府の中では、丹波家が口科専門医として確立し、歯科治療を行っており、庶民の間では僧医が医療や慈善事業を行っていた。
この時代の歯科治療は抜歯が重要。
女子の風習であった「お歯黒」が男子にも見られるようになった。
金創医(外科医の呼び名)は口中の疾病も同時に扱っていたといわれている。

安土桃山時代

日本で最初に入歯を使用したといわれている1538(天文7)年に74才で没した尼僧の仏姫。彼女の使用した上顎の木製床総入れ歯が現存している。
男子のお歯黒はこの頃には廃れた。

 

まとめ「お歯黒と入歯」

お歯黒が虫歯予防に!?

お歯黒の成分に含まれているタンニンには歯と歯茎のたんぱく質を強化する働きがあり、また別の成分、鉄漿水(かねみず)の鉄分が歯のリン酸カルシウムを強化して虫歯を予防していたといわれている。


入れ歯を作っていたのは….

仏姫の使用していた入れ歯は、現代の入れ歯の形に良く似ており、顎に吸い付き、食事を噛むことが出来たと窺える。
しかし、木彫りで口の形に彫りあげるというのは、かなりの手先の器用さを求められた為貴重であった。
そこで活躍したのが仏師。
安土桃山時代前後から、仏像彫刻の注文が減少し、入れ歯の製作を生活の糧にしたのではないか?と考えられている。

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